おばあちゃんの夢で号泣

おはようございます。

今日は祖母が亡くなったと知らせが来る夢を見ました。実際には20年前に祖母は既に他界しています。

私の祖母は、私のことをすごく可愛がってくれて、毎朝私が小学校へ登校するのを見送り、私の姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれていました。

祖母自身が病気でしんどいときも、自分のことより私のことを心配してくれるような、そんな優しい祖母だったんです。

祖母は私の母に「マミは将来どんな娘になるのかな~楽しみだ」といつも話していたそうです。

私の中にはその言葉がずっと残っていたのでしょう。

祖母が亡くなったと夢の中で知らされて、私はずっとおばあちゃんにごめんねごめんねと泣いて謝っているところで目が覚めました。

目覚めた瞬間に祖母が望んでいたであろう、私の将来の姿と、現実に今いる私があまりにも違いすぎることに涙が止まりませんでした。

きっと私の中には、無意識のうちに祖母が望む姿、両親のように結婚し子供をもち家庭を築くという価値観が当たり前のように色濃く自分の中に出来上がっていたことを感じました。なかなか消えないんですよね…これがまた。

レズビアンとして生きることはそれが実現できないわけではないけれど、色々難しい問題がでてきます。

でもそれと同時に私には悔しさが溢れていました。

そこで謝る自分への悔しさ。私は生まれてきた自分の存在を肯定しています。

レズビアンで生まれたことは意味があり素晴らしいことと自分では思っているつもりです。

なぜならこの世に生まれることに対して間違いという概念なんてないと思っていて。良い悪いという判断は人間だけが勝手に下している、人間がもつ価値観の小さな物差しの判断なんです。だからそんな小さな判断で自分自身の存在の良し悪しが判断されるなんてあり得ないと私は思っています。

私は男性も女性も大好きです。男性をかっこいいと感じるし、好きにもなります。ただ女性の方が気持ちが強くなるのでレズビアンなのだと自覚しています。

けど、たまに心が弱くなり、世の中に流されそうになる自分も確実に存在します。

私が悔しかったのは自分自身が選択してきた道、レズビアンとして今、生きてること、同じ仲間がいること、それがどのように素晴らしいのか、どんな意味があるのか、証明できずにいることが悔しかった。

心ではなんの迷いもなく、自分の本能、幸せに向かって進んでいるはずなのに世の中にはまだまだ形だけのハードルがある。

私たちには肯定的に選び取れる選択脚がないんです。

例えばこれから育っていく子が私と同じ道を歩むとき、私はその子にいろんな生き方を選んでいいと言える大人でありたい。

そのためには、レズビアンという道が胸を張れる道でありたい。少しでも素敵なものであってほしいと思っています。

喜んで選び取る道にしたい。

私の活動の原点は悔しさなのかな。

人のために何かできるほど素晴らしい人間ではないので、自分のために答えをみつけたい。見つけられなかったとしても、この身が終わるまで探しつづけていくんだと思う。

おばあちゃん、私、絶対に幸せになるから、というか、もう幸せだから安心してね。愛してくれてありがとう。

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